Memento Mori, Carpe Diem
死 を 想 え 、 今 を 生 き ろ 。
A day of three chapters, one quiet hour, and your voices
本編を終えた翌日、有志のみで過ごす最終日。
食卓を囲んでの振り返り、山のブランでのランチ、そして縁から生まれた養蜂家ツアー。
── 本編プログラムの「Premium Tea Time」と、ともに過ごした参加者の言葉も添えて。
A day that carries the nights before
命の誕生を覗き、名を与え、命をいただき、命について語った、Preview Night と本編2日間。 ── その熱をすぐに日常に戻すのではなく、もう一度、智頭の食卓を囲んで、ゆっくりと身体に落とし込む時間。
Preview Night から本編2日間、走り続けた時間を、皆さまと一緒に静かに見つめ直す時間。── 食卓のうえで、誰かの言葉と自分の余韻が、静かに混ざりあう振り返りのひととき。
石田シェフの手による、鹿肉フレンチのランチコース。── Preview Night の解体ショーで赤堀さんが捌いてくださった智頭の鹿が、最もエレガントなかたちで食卓に戻ってくる、命の旅の最後の章。
Memento Mori(死を想え)と Carpe Diem(今を生きろ)。 本編で投げかけられたこの二つの言葉は、アフターパーティーの一日にも静かに流れ続けていました。 ── 終わりが見えているからこそ、最後の一日が、ひとしお濃く立ち上がってくる。
熟した果実が地面に落ちて腐る前に、この瞬間を捕まえよう。
もう、この日はやってこないのだから。 Memento Mori, Carpe Diem
A quiet reflection, before the next plaza
Preview Night から始まり、本編2日間を駆け抜けた PRIMAL PLAZA Vol.04。 ── 山のブランの食卓を囲みながら、ともに過ごしてくださった皆さまと一緒に、ゆっくりと3日間の歩みを振り返りました。 この章では、その振り返りのなかで自然と立ち上がってきたトピックを、いくつかご紹介させてください。
── 食卓を囲みながら話題に上がったのは、Preview Night で深い手応えを残した ブリーディングルームツアーと命名式のこと。 命名式という時間が、ただの儀式ではなく「命に言葉を与える行為」として、皆さまそれぞれの中に残っていたことを、口々に語り合いました。 ── 命の誕生に静かに立ち会うこの時間は、PRIMAL PLAZA の根幹として、これからも大切に続けていきたい。改めてそう感じる時間でした。
話題は自然と、繁殖をめぐる企画のこれからへ。 生命がどう生まれ、どう受け継がれていくのか。 ペアリングの結果や、名前を与えられた個体たちのその後も、参加者の皆さまと一緒に追いかけていけるように。 ── 一夜の経験で終わらせず、年をまたいで続いていく物語として、ゆっくり育てていきたい。そんな思いを共有しました。
そして、Vol.04 で深い余韻を残した LIBERATOR TEA MEETING のような、 テーマを定めて語り合うトークセッションのこと。 ── その時間を、その場限りで終わらせず、レポートやアーカイブとして残していく。 参加できなかった方にも、後から静かに辿り直していただけるように。 この「コンテンツとして残す」という姿勢も、変わらず続けていきたい軸です。
もうひとつ、食卓のうえで大切に確かめ合ったのが、 「大きなコンセプトのもとに、すべての企画を一貫させる」という設計の話。 Vol.04「Memento Mori, Carpe Diem」を通して、命の誕生・命名・命をいただくこと・命のサイクル── ひとつのテーマが、Preview Night と本編2日間をかけて立体的に立ち上がっていったこと。 この組み立て方を、次の Vol.05 以降にも、丁寧に引き継いでいきたいと考えています。
これから新しく挑戦したいことの話も、自然と広がっていきました。 ── テーマごとのトークセッションと 異分野とのコラボレーションを、さらに広げていくこと。 最先端のテクノロジー(AIなど)と命の話を交差させる時間。 職人の手仕事(骨格標本など)と生き物の身体を見つめ直す時間。 ひとつの命を真ん中に置いて、まったく違う領域の方々に、それぞれの視点で語っていただく。 ── そんな企画を、少しずつ立ち上げていきたいと話しました。
レプレプさんとのコラボレーションが、KIGO の WEBメディア「THE AIRPORT」での取材から始まったように、 まずはじっくりとお話を伺い、その方の世界を丁寧に紐解いたうえで、PRIMAL PLAZA の場へお招きする。 ── この流れを、これからの軸のひとつとして大切に育てていきます。 次にどなたとお会いし、どんな問いをひらいていくのか。 その輪郭が見えてきたら、少しずつお伝えしていきます。
そして、ひとつなぎという場そのものも、 「PRIMAL PLAZA のために訪れたくなる場所」へと育てていきたい。 動物たちが暮らし、智頭の山と地続きにあるこの場所だからこそできる体験を、丁寧に編んでいきます。 ── イベントの前後でゆっくり過ごせる時間、智頭の自然や人と交わる時間も、企画の一部として大切にしながら。
Preview Night から本編2日間まで、ともに歩いてくださったご参加の皆さま、ゲスト、出店者の皆さまへ。 ── 一つひとつのシーンが、誰の中にも、深く、長く残っているはずです。 この食卓で交わした次の輪郭を、また皆さまにお届けできる日まで── ペアリングの結果も、新たに生まれてくる命の名前も、気長に、楽しみにお待ちください。
── 次の PRIMAL PLAZA で、また。
A lunch course, slow and deliberate
振り返りを終え、一同は、智頭のひかりが差し込む席へ。 ── 昼下がりの食卓を、ゆっくりと囲む、山のブランでのランチの時間が始まりました。
Preview Night から本編2日間、ともに歩いてきた参加者だけで囲む食卓。 ── 走り続けた身体に、ゆっくりと一皿一皿が染み込んでいきます。 昨夜までの興奮が、グラスとカトラリーの音とともに、少しずつ、日常の温度に戻っていく時間でした。
この日の主役は、Preview Night の解体ショーで赤堀さんが捌いてくださった、智頭の鹿。 ── その肉を主役にした、山のブランによる特別なランチコース。 テーブルには、本編で展示された 大正時代の蕎麦色の向付皿が用意され、 シェフはその器からインスピレーションを受けて、一皿目を組み立て直したと聞きました。 ── 当初予定していたコース全体を、その場で組み替えるほどに。 器と料理人のあいだに走った静かな化学反応が、この食卓全体の輪郭を、もう一段、深いところへと運んでくれました。
話題は自然と、本編で出会った人たちのこと、それぞれの仕事のこと、これからの暮らしのことへ。 ── 「次は何をしようか」「ペアリング、命のこと」「鹿肉をまた食べたい」。 食卓を囲みながら、すでに次の旅の輪郭が、少しずつ立ち上がっていく時間でした。
昔の器や現代の作家の器に触れること、
その瞬間に集まった人たちと空間や時間を共有できること──
そこに、命の喜びがあるのではないか。 島田 晋輔
A visit to a guest — who turned out to be a beekeeper
── 講神(こうじん)さんは、今回の PRIMAL PLAZA Vol.04 にお客さまとして足を運んでくださっていた方でした。 お話しするなかで、智頭の隣町・西粟倉村で養蜂を営まれていることを知り、── ぜひ一度、蜂場を訪ねてみたい。 食卓を囲んでいた折に、その縁を思い出した参加者のお一人から「講神さんのところに行ってみる?」という一言がふっと差し込まれ、皆で足を向けることになりました。
正式なツアーとして組まれていたわけではなく、お客さま同士のご縁から生まれた、ささやかな訪問の半日。 ── にもかかわらず、講神さんはあたたかく迎えてくださり、蜂たちの暮らす場所を、惜しみなく見せてくださいました。 西粟倉の山で養蜂を営みながら、蜂たちと自然のリズムを共にしてきた方。 本編 LIBERATOR TEA MEETING で交わされた「命」「死生観」「生き方」というテーマが、 養蜂という仕事のなかでは、もっと具体的なかたちで日々営まれている。 ── そのことを、現場の音や匂いに包まれながら、ご厚意のなかで受けとらせていただいた時間でした。
巣箱を開けると、無数の蜂たちが、それぞれの役割をまっとうしている。 女王蜂、働き蜂、雄蜂。生まれ、働き、死んでいくサイクルが、一つの巣のなかで同時に走っている。 ── Preview Night の「ブリーディングルームツアー」で覗き込んだ、命の誕生。 鹿肉解体で目の前にあった、命をいただくこと。 そして、ここで見つめているのは、生まれてから死ぬまでの、命のサイクルそのもの。
講神さんからは、蜂の生態、ハチミツが採れるまでの工程、養蜂家として山と向き合う日々の話を、 ひとつずつ丁寧に聞かせていただきました。 ── 一匹の蜂を見つめていたはずが、いつのまにか、自然そのもの、宇宙そのものに触れている。 その感覚を持ち帰った参加者は少なくありませんでした。
A morning hour with timeless vessels
── この After Party Report では、Preview Night Report、Memento Mori, Carpe Diem Event Report に 収めきれなかった本編プログラム「Premium Tea Time」を、改めてご紹介させてください。
Premium Tea Time は、本編2日間(4/25・26)の朝に、時代を重ねた骨董の和食器とともに、 静謐な時間を愉しんでいただいた、特別なプログラムです。 ── 産地も時代も異なるはずの器たちが、不思議と一つの卓に馴染み、深い表情を見せてくれる。 ── 器を愛でることだけで終わらせず、実際に手に取って使い、その器が辿ってきた文化や歴史までを愉しんでいただく一時間を、毎朝設えました。
Premium Tea Time の卓に並べたのは、時代と作家を横断する六つの和食器。 ── 一碗ごとに、その器を生んだ手の記憶が、静かに息づいています。
── 食と芸術を、ひとつの卓のうえで結び直した人。
大正から昭和を駆け抜けた、陶芸家であり、書家であり、篆刻家であり、料理人であり、美食家。一人の人物のなかに、それだけの肩書きが矛盾なく同居していた稀有な芸術家です。人間国宝の認定を自ら辞退したという逸話に象徴されるように、既存の枠組みに収まることを良しとしなかった、まさに LIBERATOR と呼ぶにふさわしい存在でした。
「器は料理の着物」── 古陶磁の精神を現代へとひらきなおした、芸術性高い「雅陶」の世界。銀座 黒田陶苑の鑑定を経た本作品は、希少性・美術的価値ともに極めて高い一碗です。本物が手のひらに伝える重さと温度を、朝のひとときに味わっていただきました。
── 魯山人の「動」から、木村盛伸の「静」へ。
京都の陶芸一家に生まれ、京都府無形文化財保持者として認定された名工。声高に語るよりも、ひたすら「土」と「灰(釉薬)」と向き合い続ける── そんな職人気質の姿勢が、一碗ごとに滲んでくる作家です。
特別な日のための器ではなく、日々の暮らしのなかに静かに溶け込んでいく一碗。卓に並べたとき、声を張らずに「ここに居ます」と佇んでくれる、穏やかな贅沢を運んでくれる器でした。
── 禅の「空」を、土と火に委ねた一碗。
作家自身の会心作として、銘「無心」を許された黒茶碗。この一碗の背景には、昭和から平成にかけて日本文化界の精神的支柱と称された禅僧、大徳寺・立花大亀師との出会いがあります。
大亀師から授かった「お前は土をいじるな、土に語らせろ」という言葉を、杉本氏は生涯の指針として抱きつづけてきました。作為を手放した先に、ようやく姿を現したのが、この「無心」という一点もの。──「自分」をひとたび消したからこそ、土が応えて、この銘が立ち上がったのだと思います。
── 凛とした線と、木肌のやさしさ。
現代の木工芸を牽引する作家のひとり、吉田宏介氏。シャープに引かれた線と、手のひらに伝わる木肌の柔らかさ ── 相反する二つの表情が、ひとつの茶櫃のうえで静かに溶け合っています。
八角形は、古くから縁起のよい形として親しまれてきました。卓のうえに置かれた瞬間、場の空気がふっと引き締まり、清々しさが立ち上がってくる。緻密な手仕事から生まれる、モダンでありながら温かな「木の美」のかたちでした。
── 刷毛を置いて、指先で漆と対話する。
輪島の地から、漆芸の常識を静かに揺さぶり続けてきた塗師。漆を塗る道具は、刷毛ではなく、自らの指先。皿の上には、塗師の指が辿った時間の道筋が、そのまま残ります。器の表情に宿る力強さと、どこか肉体的なリズム── それは「塗る」というより、漆と素手でやりとりした記録のようでもあります。
既存の作法に並ぶよりも、目の前の感覚を選ぶこと。その積み重ねが、ふたつとない「漆の美」をかたちにしました。── 今を生きるという Carpe Diem の意味が、この一枚の皿のうえで、静かに重なって見えてきます。
── 時間と一緒に、艶を育てる皿。
輪島で漆と暮らしを地続きに考え続けてきた塗師の手による、ひとひらの平皿。木地に和紙を貼り重ね、その上から漆を塗り重ねていく技法から生まれた、しっとりとマットな手触り。空の広がりをそのまま閉じ込めたような、おおらかな器形が、卓のうえに静かな余白を運んでくれます。
使い込むほどに、表面はゆっくりと艶を増していく。── その艶は、皿が経た時間そのもの。そして、使い続けた人の暮らしの痕跡でもあります。これからの暮らしの真ん中で、ともに時間を重ねていく一枚。「ふだん使いの漆器」という言葉が、こんなにも軽やかに似合う器も、なかなかありません。
室町時代の器、李朝前期の茶碗、 大正時代の椀、そして輪島塗。 ── 卓のうえには、六人の作家の手仕事に加えて、銘も作家も知れぬまま数百年を生き延びてきた古い器も、静かに置かれていました。 それぞれの器が持つ歴史と美意識が、一碗のお茶に深みを与えてくれる。 数百年の手仕事が、いま、目の前の卓のうえで重なり合っていく時間でした。
器に注がれたお茶の傍らに、毎朝、季節とその日に合わせたお茶請けを添えました。 ── 一日ごとに異なる甘味が、卓のうえでお茶と静かに対話していきます。
手に取ってはじめてわかる重さ。光の当たり方で変わる色味。口にふれたときの感触。 ── 器は、ガラス越しに「見るもの」ではなく、手のひらと唇で「使うもの」。 その当たり前のはずの距離感を、室町から大正、そして現代の作家までを横断する卓のうえで、 もう一度、ゆっくりと辿り直していただく時間でした。
色味の奥に深みのある器を、朝の光のなかで見ていると、つい時間を忘れてしまう。 ── 「Memento Mori, Carpe Diem」、死を想い、今を生きるという Vol.04 のテーマが、 一杯のお茶と一つの器を通して、より深く、静かに身体に染み込んでくる。 Premium Tea Time は、そんな朝のひとときとして設えた、本編のなかでも特別な時間でした。
室町時代のお椀と、大正時代の食器。
それぞれ時代も産地も違うのに、並べると不思議と馴染む。
── 器と対話するような、朝の一時間。 Notes from the morning
── 当日の様子の写真は、整い次第このページに追記してまいります。
Reflections from the journey
Preview Night から本編2日間まで、ともに過ごした参加者から、言葉を寄せていただきました。 ── 同じ場所、同じ時間を共有しても、持ち帰るものはひとりずつ違う。 その差分こそが、PRIMAL PLAZA がこれからも続けていく理由です。
── 他の参加者からのコメントは、届き次第、順次このページに追記していきます。
カルペ・ディエム的な考えで昨日思ったけど時間なくて話す機会もなかったのですが〜 島田さんとこの庭に桑の葉があること皆さま気づいてなくて。 それを知ることにより文字通り“草を摘む”ことになるわけですが。 その“草を摘む”行為に意味を持たせたのは知識や教養なんだなって。 それを桑の葉(有用なもの)として認識しない限り目に留まることもない景色の一つに過ぎなかったわけで。 その意味さえ持たなかった道端の草が意味を持つものになる。 その草をその日摘むことに意味を持つものになるのが知識や教養なんだな〜 などと。 メメントモリ・カルペ・ディエムを締めくくる小さな“実践”がそこにあったな〜 などと思いました。 まる。 でもまあ。 “今日を摘む”的なニュアンスなのかな?元は? その“今日”はあくまでも比喩表現なのかな? って感じてて。 その今日を何に当て嵌めてよりその1日を充実させ、甘美なものにするか? って意味なのかな?って。 やし、あの日買ったはちみつは。 養蜂場で講神さんの話を聞いたあと何も知らずに食べる時と。 きっと味が違うのだろうと。 それこそ甘美に。 その摘んだ“今日”という教養や知識が、今まで意味を持たなかった日常にすら甘美を与える。 それこそが死を意識したからこそ。 その日をムダにせず、楽しむ術を見つける。 そういった意味なのかな?
養蜂家の講神さんとの出会いはまさに、島田さんの懐の広さとレプレプさんの好奇心探究心で生まれた貴重な経験だったと振り返って強く感じます。 1度目の夏は夜の生命を知り、2度目の秋は様々な場所とつながり、今回はより根幹となる生命のサイクルについて、深い学びをいただきました。本当にありがとうございました。 雷(らい)さん?には健やかに生きてくださることを遠くから祈ってます! 新たな生命への命名も緊張しますが、いいのが降りてくることを祈っておいてください(笑) ペアリングの結果も気長に楽しみにしております! 今回も4日にわたってありがとうございました!
今回も大変貴重な、また深く考えさせられるアーカイブをご恵与いただきありがとうございます。 岡山伝道部時代、自分は鳥取市で二ヶ月ほど伝道する機会がありました。岡山市から鳥取市までの電車で通過したのが今回の会場となった智頭町です。あの山の中を潜り抜けていく車窓からの眺めを大変懐かしく思い出しながら読ませていただきました。 自分も半世紀以上にわたり昆虫の生態と向き合い、自然、命、生き物などに触れながら多くを学んできました。今回登場された方々と共通する感覚も多くあります。それは昆虫記を著したアンリ・ファーブルの言葉「いっさいが、虫けらに含まれている」に帰結するのかなと思います。虫を見ながら私は宇宙を見、哲学をし、ヒトという生き物の自然観を養い、命を奪う行為から学んだ命の尊さと命への尊厳の思い、それら多くの事柄は「全て虫から学んできた」と思っています。 虫をやっていると目の前の事象を理解するために物理学や、気象学、数学、統計学、美学ありとあらゆる学問領域の知識を身につける必要にかられます。そのようにして自然という深い懐の中を探りながら、とうていヒトには全てを知ることなど出来ないのだという自然の壮大さ、それは神様が創造されたものだからであるという証へと繋がっていくのでした。 自分の宗教観は天理教徒であった両親と祖父母に起因するかもしれませんが、幼い頃から自然にふれ感性を磨き、ファーブル昆虫記というメンターに導かれながら目の前に展開する虫の生活の不思議さに魅せられ、そこから宣教師との出会いと神様による導きを受けながら神様が此の世界を創造したのだと言うことをすんなりと受け入れられたのかもしれません。いまだに虫を見ながら証を強めています。アルマが言うように全てが神様の存在を証していると感じています。 ごめんなさい長々と自分の自然観みたいなことを書いてしまいました。でも此のように人の本質について深く意見を交わし合う機会(今回のセッション)があると言うことは素晴らしいことだと思います。特に異業種交流のような、異なった分野のトップランナーの方々の話を聞くことは聴衆にとって極めて有効でいい意味で刺激を受ける(インスパイヤされる)機会になったことと思います。 今日も頑張って仕事に出かけます。朝からこのような優れたお話に接する機会をいただき厚くお礼を申し上げます。
Memento mori, carpe diem
「Memento Mori, Carpe Diem」── 死を想え、今を生きろ。
Preview Night から本編2日間、そしてアフターパーティーと続いた4日間の旅は、最後の山道と、最後の食卓と、最後の言葉とともに、静かに幕を閉じました。 ── 命の誕生を覗き、命に言葉を与え、命をいただき、命のサイクルを見つめた時間。 その時間は、誰の中にも、少し違うかたちで残り続けるはずです。
正解は一つではない。それぞれの「より良く生きる」がある。 だからこそ、こうして集まり、声を交わし、皿を分け合い、山を歩き、命を見つめることに意味があるのだと思います。
熟した果実が地面に落ちて腐る前に、この瞬間を捕まえよう。
もう、この日はやってこないのだから。 PRIMAL PLAZA Vol.04
PRIMAL PLAZA は、これからも問い続けていきます。